ホームへ戻ります 

海外の山歩き
エベレスト街道 カラパタールトレッキング 2010(H22).11.4から11.22までの19日間
一生のうち一度でもいいから,この目で世界一高いエベレストを見てみたいという欲求に駆られ,標高5500mのエベレスト展望台カラパタールへと出かけてきました。高山病の心配があるとかで,1年前から週2,3回5km程度のジョッギングを続けるとともに,勝田マラソン10km,大子マラソンハーフとトレーニングを積みました。また,ミウラドルフィンで低酸素室での体験も3回行い,高山での呼吸法を身につけました。秘訣は酸素濃度の薄い空気をたくさん吸うというよりは,肺の中の二酸化炭素を思い切りはき出すという呼吸法で,水泳での呼吸と似ていました。
準備は万全かなと思っていましたが,食事が思うように進まなかったりタンボチェあたりからの頭痛に悩まされ,いつ高山病で戻るようになるのかと不安と緊張の毎日でした。そのせいか,カラパタールに登頂できたときには思わず同行のシェルパと固い握手をしてしまいました。
カラパタールからの眺望は正に世界一のエベレストにふさわしく,神々しくスケールの大きな景観が迫ってきました。
ルクラに戻るとこの季節でも雨期のように雨が続き,カトマンズまでの飛行機は飛べず待機を余儀なくされてしまいました。空港はごった返していて,ネパール軍のヘリコプターが出動し,350ドルの実費を支払ってカトマンズへと戻りました。
体力からお金の心配と海外の山は大変でした。乾燥したヒマラヤを歩いているとウェット感のある日本の山に無性に登りたくなりました。 |

カトマンズからルクラまで飛行機で行き,エベレスト街道をカラパタールまで
往復しました。 |

エベレスト街道 ルート図 |
ナムチェバザール 11.7
こんな場所にと思うほど不思議な村がありました。徒歩しか交通手段がないというのに物資は豊かで電気もあり快適なロッジ,みやげ店が軒を連ねています。
日本人も多く見かけ,75歳でエベレストに登頂した三浦雄一カ家族も利用したというロッジに泊まりました。
みやげにとヤクのTシャツ,仏画のタンカを買いました。 |

坂道に軒を連ねるみやげ店 インターネットカフェや喫茶店もあります。 |

高台から村の全容が見渡せます。 |

高台にあるシェルパの家と山岳写真館です。 |
タンボチェ 11.9
富士山より高い場所にりっぱな寺院が建っていました。アマダブラムが身近に迫り,遙か遠くにエベレストが望めます。
ロッジは大分山小屋らしくなりましたが,おいしい焼きたてパンが売ってました。
博物館があり,おみやげに南無阿弥陀仏という意味の経文が刻まれている石を買いました。 |

加藤保夫氏の記念碑からエベレストが望まれます。 |

目を見張るほどのりっぱなタンボチェ寺院です。 |

寺院の門からアマダブラムが見えました。 |
|
 |
ここはシャンボチェのエベレストシェルパリゾートホテルの中庭です。
カラパタールへの出発式で,黄色い布(タルチョ)をかけていただき,登頂を祈願しました。
エベレスト,ローツェ,アマダブラムがよく見ます。 |
ディンボチェ 11.10
ついに4000mを超えました。頭痛がひどくなりました。高度純化をかねてヒマラヤ襞で有名なチュクンを往復しました。
紺碧の青空に純白の襞は圧巻でした。戻ると頭痛が少し和らいできました。 |

雪山を見ながらなるべく長時間滞在し,高度に慣れる訓練
です。 |

見事なヒマラヤ襞です。
|

6000mを超えるアイランドピークが目の前です。
|
|
 |
ここまでは全員たどり着けました。 |
ゴラクシェブ カラパタール 11.13
いよいよカラパタールへの登頂です。雪もなく小高い丘という感じですが,登りの苦しさは普通ではありませんでした。とにかく二酸化炭素を吐いてはいて,先頭を行くシェルパに食いついていきました。
そして山頂へ,そこは正に絶景でした。 |

ゴラクシェブのロッジです。 私たちの荷物をここまでヤクが運んでくれました。 |

モレーンの上でヌプチェを背景に記念写真です。セルフタイマーで撮りました。 |

カラパタールからのエベレストです。 |
|
 |
やっとの思いでカラパタールの頂に立ちました。
「西遊旅行」の添乗員が記念写真を送ってくれました。 |
このページのトップへ
|