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海外の山歩き

キリマンジャロ登山  2013(H25).2.9(土)から2.22(金)までの14日間

 エベレスト街道カラパタールの丘に登り,エベレストに対面したときには感激のあまり,もうこれで海外の山は充分だと思っていたのですが,いつしかキリマンジャロ登頂の夢を実現させてみようという欲望が沸々と湧いてきました。年甲斐もない欲望に駆られてしまったのですが,妻も取り立てて否定するような態度でもなかったので,平成24年1月からトレーニングを開始しました。

 日立アルプス縦走,筑波連山縦走(全山3回,2分割各1回),飯豊連峰縦走,奥久慈連山縦走と里山中心の山歩を重ねるとともに,農作業に励む傍ら週4〜5回の5km前後のウォーク&ジョギングを繰り返して,自信がひととおり着いたところで「道祖神」というアフリカ専門のツアー会社の「マチャメルートで登る!キリマンジャロ登山とサファリ14日間」というコースに申し込みました。

 このコース,テント泊ではありますが,マラングルートと比べると日数をかけて4000m高度をアップダウンするので高度順応しやすく登頂率が高いというので選んでみました。
 メンバーは,サラリーマン時代の同僚のKさんと,東京から1名,広島県から3名の計6名で,添乗員無しの不安と緊張感あるツアーでした。

 ナイロビからアルーシャを経由してモシという町に入り,マチャメゲートから
キリマンジャロを目指しました。下山はムェカルートを取り,ムウェカゲートから
モシに出て,ケニヤのアンボセリ国立公園でサファリを楽しみました。 


成田〜ドバイ〜ケニア ナイロビ〜タンザニア モシ(泊)    2.9〜2.11

 キリマンジャロ登山のみを考えると,タンザニアへ直接空路乗り入れた方が体力的にも時間的にも効率的ですが,「道祖神」のツアーはケニアからタンザニアへ陸路移動するという少しハードなものでした。しかしこれがアフリカ初体験の身にとっては実に新鮮で,移りゆく景観や同乗する現地の人の振る舞い,国境での入出国手続き,それにトイレ休憩時に執拗に迫ってくる土産売りに見とれたり,たじろいだり,困惑したり,焦ったりと一種のカルチャーショックに陥り思い出深い旅となりました。

 英語が話せたら,理解できたらもう少し落ちついて味わえたのですが,場面場面で主人公になったときは無我夢中でした。同行した東京の女性の方が英語力のある方で,添乗員的な役割を果たしていただき,キリマンジャロ登山口の町であるモシに着く頃には「これがアフリカの空気か」と味わえる余裕も出てきました。

 キリマンジャロが見えるというモシのホテルから絵はがきを出しました。絵はがき1ドル,切手1ドルで帰国前日の2月21日に到着し,TANZANIA MOSHI の消印が着いていました。

 
 ナイロビのホテル前の風景です。

 

 ケニアからタンザニアへ陸路移動途中のトイレ休憩所。暑いけど湿気が少なく割合さわやかです。 
   キリマンジャロ麓の町モシのホテルです。マラリア予防のためか蚊帳があります。


モシ〜マチャメ・ゲート(1750m)〜マチャメ・ハット(3000m)(泊)       2.12

 朝,ホテルのベランダからキリマンジャロの雪がクッキリと見えました。約束の時間から30分以上遅れてガイドが到着,モシの町で食材やガスボンベなどを調達しながらポレポれとマチャメゲートへと向かいました。道路沿いには至る所にバナナがたわわに実っていました。マチャメゲートには登山グループごとにポーター達が勢揃いしていて多賑わいです。登山者記録簿に一人一人英文で記入します。これは各キャンプ地から下山ゲートまで続きました。欧米人が圧倒的に多いように感じました。

 ゲートからはうっそうとした原生林の巨木から垂れ下がった苔が幽玄の世界を醸し出す雰囲気の中,遊歩道のような快適な道を進みます。ランチは森の中にテーブルと椅子をセットして,ナイフとフォークで洒落た感じのランチボックスをいただきました。スイカ,マンゴーなどデザートのフルーツ付きでまさに森のレストランです。こんな贅沢をして果たしてキリマンジャロに登れるのか,少しとまどいを覚えました。

 1日目のキャンプサイト,マチャメ・ハットに着くと少し頭が重く感じられました。意識的に強く吐く呼吸を続け,普段の倍以上の水分を補給しました。夜は6回ほどトイレに起き出し,同じテントのKさんには大分迷惑をかけてしまいました。これがアタック日まで続いたのです。
 外に出るたびに,まばゆいばかりの星空に目を奪われ,テントに戻っても中々まどろめない状態でした。頭上に見えるオリオン座は日本で見るのと向きが異なっていました。北半球とは逆さに見えるようです。朝の4時頃には北斗七星が顔を出してきました。

 
 モシのホテルからキリマンジャロの雪が見えました。
 初めての姿に感激し,皆さんを起こしに回りました。
 
 マチャメゲートです。銃を備えた兵士がおり,入山は厳重に管理されています。山の中は安全,安心です。
 
 原生林の木漏れ日の中,森のレストランで昼食です。


マチャメ・ハット(3000m)〜シラ・ケープ(3720m)(泊)      2.13

 朝,今日もキリマンジャロの雪が姿を現しました。近づいてきた山を正面に果たして登れるのか,高山病は大丈夫か不安と緊張の連続が続きます。
 山道は原生林を抜け,低潅木帯に入りました。日本の夏山気分です。しかし周りには見たこともない色鮮やかな花々が咲いています。エバーラスティング,ピンクと白の花で名前の響きが良くこれだけスッと記憶できました。

 ポーター達のたくましさ,バランスの良さには感嘆しました。足場の悪いところを頭に荷物を載せ,絶妙のコントロールで私たちを追い抜いていきます。キリマンジャロの頂には彼らのサポート無しにはいくら頑張っても立てないのです。登山者1名につき3名のポーター,ガイドを含めると4名近い人々のサポートが必要となります。

 食事はていねいな作りで,洋風です。しかし,パンが中心なので日本人には少しのどごしが良くありません。ライスも長粒米を炊いたものが付け合わせで出てくるのですが,これも今一です。おかゆを要望したら塩味のないそれらしいものが出てきて,持参した梅干しなどを混ぜてどうにか胃袋に納めることができました。

 高山病予防のため,できるだけ寝ないようにしようとキッチンテントでお茶を何杯も飲み干し,くつろいではおしゃべりに花を咲かせました。お土産には今飲んだキリマンジャロティを買おう,インスタントコーヒーは旨くないね,本物のキリマンジャロコーヒーをガイドに注文しようなどと言いながら,飲んではトイレ通いを繰り返しました。 


 早朝,キャンプ地からキリマンジャロの雪が望めます。

 緩やかな登りを進み,少しずつ標高が上がります。
 休憩地点からメルー山が見えました。 
 
 樹木が無くなりサボテンのようなジャイアントセネシオが姿を見せてきました。
 
 キャンプ地には,辺り一面ラベンダーのような草が点在しています。キリマンジャロの3峰のうち,シラー峰がガスで覆われています。
 
 キャンプ地からシラルートのシラハットまでハイキングをしました。ガイドのモーゼス,37歳です。
 
 オリオン座は南半球では逆さに立つことになるので逆さに見えるそうです。日本のと形が違います。


シラ・ケープ(3720m)〜グレート・バランコ・バレー(3900m)(泊)    2.14

 今朝の冷え込みは,つい先日の我が家の冬を思い出しました。麓の真夏の暑さはどこへ行ってしまったのでしょう。テント周りのあまりの巨大な霜柱に驚きました。冬用の下着を着込み,冬の里山歩きのスタイルで出発です。

 だらだらした長い上り坂が延々と続きます。4600mのラーバタワー(溶岩の塔)付近ではかなり息苦しき感じました。明らかに空気中の酸素濃度が薄いようです。それでも移りゆく山容の珍しさ,異邦の山の新鮮さに引きつけられてはもっと前へと足が進み出します。食事もまずまずとれているせいか体調はいいようです。
 岩場の上り下りも頻繁で,結構バランスが要求されます。肝心なポイントではガイドが声をかけてくれたり,手を差し出してくれます。 

 
4600mのメールー山が朝日に輝いています。整った山容です。
 
 キャンプ地から見上げるキリマンジャロ。
 大きいです。高いです。
 
 歩いていると結構のどが渇きます。マジタイムは水分補給の休みです。
 マジはスワヒリ語で水です。
 
 ラーバタワーです。巨大な溶岩がそびえ立っています。ここで4600mの高度です。
 
 独特の雰囲気を持つ植物,ジャイアントセネシオとジャイアントロベリアです。高度は上がってもやっぱり赤道直下の山,植生が違います。
 
 荒涼とした砂礫の登山道をポレポれと進みます。
 赤いザックカバーの男性がチーフガイドのアロン氏です。


グレート・バランコ・バレー(3900m)〜カランガ(4000m)(泊)    2.15

 荒涼とした砂礫の中に,サボテンのような植物,ジャイアントセネシオやジャイアントロベリアが林立する登山道をひたすら歩きます。
 高度も大分慣れてきましたが,強く吐く呼吸を止めると歩くのもふらふらしてしまいます。休んでいても絶えず吐いてはいて吐き続けることで正常な動作が可能となります。 フーフー言っているのは私だけで,他の皆さんは割合楽そうな呼吸で充分なようです。個人によって高山の呼吸法は異なるようです。Kさんが血中酸素濃度計を持ってきたので毎朝測定しました。平地で98%前後の数値が70%台まで下がります。呼吸法によって,これが80%台に回復し普通の動作が可能となります。

 
 このキャンプ地は暖かかったです。トイレに起き出すのも楽でした。
奥の建物は新しく建築されたきれいなトイレです。
 
 アシスタントコックは23歳でした。毎朝,洗面用のお湯とコーヒー,紅茶を持ってきてくれました。
 
 急な登りは少ないのですが,谷へ降りては又登り返すことを繰り返します。


カランガ(4000m)〜バラフ(4600m)(泊)    2.16

 高度順応の日です。
 4000mから4600mをゆっくり歩き,アタックキャンプ地のバラフにお昼頃到着しました。

 真夜中のアタックに備えて,頂上直下の取り付き地点まで散歩しました。苦しいながらも,今の呼吸法で充分酸素が補給され,足下もしっかりとらえられているような感じです。これで行けるのではと自信を深めました。
 5時には早めの夕食をとりとにかく横になりましたが眠れませんでした。

 
 いよいよキリマンジャロが間近になってきました。4600mのアタックキャンプです。
 
 今夜のアタックに備え休養です。
 
  アタックを深夜に控え,6人の勇姿が勢揃いしました。山頂はガスで隠れてしまいました。


バラフ(4600m)〜ウフル・ピーク(5895m)〜ムウェカ(3000m)(泊)   2.17

 11時半,朝食です。ヌードルスープ,ビスケットが出ましたが,ヌードルスープのみどうにか押し込みました。
 真夜中,午前0時,アタック開始です。寒さは余り感じませんでした。ヘッドランプの行列が延々と続きます。

 何時間登ったことでしょう。初め,しっかりしていた足元もいつしかふらつきが感じられ,頭がふわっと浮ついた感じになってきました。冷たい乾いた風にさらされると頻繁に咳が出てきます。咳をすると胸がチカチカと痛みました。このまま向かって大丈夫か不安に駆られました。そして鼻水,いくらぬぐってもたれてきます。苦しい。とにかくペースを落とそうとガイドのジョージに「モーアポレポレ,モーアポレポレ」と叫び続けました。ジョージのペースダウンもいつの間にか戻ってしまいます。そしてのどの渇きです。中々休んでくれません。「マジ(水)タイム」と叫んで水筒を取り出すと氷っていて出てきません。テルモスのお湯もかすかにぬくもりを保っている状態です。おなかもすいてきて力が出てきません。スタミナ羊羹をかじり,スタミナゼリーを流し込んだら少し落ちついてきました。昨日の自信はどこかへ行ってしまいました。

 いつしかステラポイントに到着,ガイドが祝福して抱き上げてくれました。それからウフルピークへと暗夜行路です。ずっと先にかすかにヘッドランプの灯りが見えるのですが,中々近づきません。頑張って,頑張ってとガイドに励まされ,火口の縁をたどり5時57分ウフルピークに立ちました。愛用のニコンD700のフラッシュ撮影が旨く作動せず,何回も繰り返しては欧米人の方にとっていただきました。何とかとってやろうという周囲の皆さんの熱意に感激でした。

 15分ほど留まったでしょうか。ガイドは下山を急がせます。マウェンジ峰の空が赤くなってきたのですが,じっくり見とれる余裕もなくて早々に下山に入りました。長居は高山病を悪化させるそうです。下りはザラザラした砂地を滑るように歩きます。埃もひどく,膝にも負担がかかり決して快適な下りではありません。

 いつしかすっかり明るくなった頃,アタックキャンプバラフへ到着しました。コックから祝福のコーラをごちそうになり,一息入れましたが頭がすっきりしません。ここで滞在すると症状が悪化するとかで,一気に3000m地点まで下ることになります。眠気と疲労こんばいした体には非常にきついのですが,とにかくだらだらした果てのないほどの稜線を降りにおりました。

 だんだんと緑が出てきて,それが濃くなり熱帯林の様を呈するようになってくるとムウェカキャンプです。里山トレーニングのおかげで膝に来ることもなく無事たどり着くことができました。
 眠くだるい体でしたが,皆さん協力して明朝ポーターに渡すチップをまとめては死んだように眠り込んでしまいました。

 
 深夜零時,アタック開始です。防寒対策を念入りに点検
します。少しあわただしい感じです。

 ウフルピークに到着です。若い女性陣2人が先に着いていました。 
 
 火口越しにマウェンジ峰方面から日の出が始まります。
 
 マウェンジ峰の空が赤く染まり,氷河といいコントラストです。
登れて本当に良かった。
 
 これが氷河です。後数年で溶けてしまうのかとは思えないほどの巨大さです。
 
  明るくなってきました。下山する人々が先を急ぎます。


ムウェカ(3000m)〜ムウェカ・ゲート〜モシ〜アルーシャ(泊)   2.18

 朝,セレモニーがありました。今回サポートしていただいたガイド,ポーター達が勢揃いして「キリマンジャロの唄」を歌っていただきました。いい声,ハーモニーでした。そのあと,ここでお別れするポーター14名にチップをお渡しすることになります。御礼のスピーチを英語で話すようお願いされたのはいいのですが,旨くいえず東京の女性の方から指導を受けてどうにかチップを渡すことができました。日本ののし封筒に入れたのですが,ポーターの皆さんには納得していただいた金額のようです。

 キャンプ地からムウェカゲートまでは熱帯雨林の中の登山道です。数カ所に渡り人力で整備が進められていました。豪雨で登山道が荒れるのか,雨水の排水溝を数多く作っていました。「ジャンボ,ソーリー」と言いながら通過すると「ジャンボ!」と大きな返事が返ってきます。

 日本の松と同じ松の大木もありました。ガイドが日本と同じだと立ち止まって説明してくれました。ジャングルには尾が白くて長いサルも見られました。

 ムウェカゲートに近づく頃,日本から提供を受けたという救急車に出会いました。日本の援助で救急費用は無料だとのことです。ガイドのランボーは日本はベストフレンドだと私たちに敬意を表してくれました。
 ゲートに着くと土産売りがワッと押し寄せてきました。かねてから,ティンガティンガ風絵画をお土産にと思っていたのでそれとなく目をやると,すっと脇へやってきました。交渉の末,1枚20ドルで3枚買いました。キャンパス地にポスターカラーで描かれており,それなりにいい雰囲気がありました。

 ゲートからはスーツケースを預けておいたモシのホテルへ戻りました。ここでチーフガイド斡旋のご当地キリマンジャロコーヒーとキリマンジャロティを購入し,同行してくれたガイドやコック,4人のポーター達とビールで乾杯し,全員登頂の御礼をしました。チーフガイドのアロンからは登頂証明書が交付されました。
 私は記念品をとおねだりされたガイド達にエアーマットとヘッドランプをプレゼントしてきました。

 
 最終キャンプを終えた翌朝,ポーター達が勢揃いしてキリ
マンジャロの唄を歌ってくれました。

 登山道から見納めのキリマンジャロが見えました。 
 
 ムウェカゲートです。最後の登山者記録をしました。
 土産売りで賑わっています。


アルーシャ〜アンボセリ公園    2.19〜2.20

 アルーシャのホテルでさっぱりと身を洗い清め,ケニアのアンボセリ公園へと向かいました。
 道中や国境の審査も少し落ちついた立ち振る舞いができるようになりました。

 アンボセリ公園へは未舗装の道路を埃を巻き上げながら,国境から3時間ほど走ります。サバンナ特有の草地にわずかな樹林が点在する大平原をひたすら走ります。途中,マサイ族の集落がいくつかあり,赤い布をまとった人々が牛や山羊を放牧していました。トイレもないので,途中キリマンジャロの姿を見ながらブッシュトイレで休憩しました。道ばたにはキリンが現れました。

 サファリは早朝と夕方行われ,ゾウ,シマウマなど自然な姿に歓声を上げては写真撮りに夢中になりました。アフリカの夕陽は水平な台地にアフリカ色に広がり,たそがれ男にまだまだ山に登れるという力を与えてくれました。

 サファリの合間には,アカシアの巨木の下で遠く象の群れを眺めてはいつしか眠り込んだりしました。あいにくヘミングウェイカクテルはなく,キリマンジャロカクテルを10ドルで注文し,ヘミングウェイ気分に浸っては優雅なアフリカの休日を過ごしました。
 そんな中でも,帰国の際着ていく冬物がキリマンジャロの汗をたっぷりしみこんでしまったので洗濯にも励んだ休日でした。
 

 
 アルーシャのホテルから見た朝焼けのメルー山です。
 
 アンボセリ公園の日の出です。
 
 夕陽です。なぜかパワーを授かったような気がしました。
 
 シマウマとキリマンジャロ。定番の構図です。
 でもいい雰囲気です。何回見ても飽きません。
 
 ホテルの屋外椅子です。キリマンジャロカクテルを飲み,
アカシヤの大木の下でうとうとしました。
 
 夕暮れとともに象の群れが移動し始めました。


アンボセリ公園〜帰国     2.21〜2.22

 帰国です。
 ナイロビ市内のスーパーマーケットに立ち寄っていただいた際,駐在員の生野さんの出向かいを受け,安心して買い物に精を出しました。
 スーパーではドルは使用できず,パスポートを提示したうえでクレジットカードでの支払いのみでした。 
 ホテルでたくさん飲んだケニア産ティーパック,ケニアティ,キャンプで飲んだインスタントコーヒーを買いました。

 今回のお土産です。
 キリマンジャロコーヒー,キリマンジャロティ-パック,タンザニヤコニャック,キリン絵柄木彫り皿,木彫りのキリン,ライオン木工栓抜き,ティンガティンガ風絵画,ケニアティ,カシューナッツ,ティンガティンガ風しおり 

 どうにか登れたものの,苦しさを痛感したキリマンジャロ登山でした。帰国して1週間,いくら寝ても寝たりないほどの眠気が消えませんでした。帰国後5日目に「草原の椅子」というパキスタン フンザ地方でロケしたという映画を見たら,今度はカラコルム山脈かと少し目が覚めました。
 

 
 ティンガティンガ風の絵画を娘が額装してくれました。
 アフリカっぽい雰囲気で満足です。            



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