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海外の山歩き
チリ・アンデス エルプロモ峰(5,430m)登山(未登頂) 2015(H27).2.18(水)から2.27(金)までの10日間
南米最高峰アコンカグアを間近に望め,アンデスの山並みを一望できるということで,かねてからチリの名峰,エルプロモ峰に引かれていました。アコンカグアにはとうてい登れそうもないから,カラパタールからエベレストを望むような位置関係でエルプロモに登ってみたいと思ったわけです。
そんな折りに,西遊旅行からキリマンジャロの次のステップにといううたい文句のパンフレットが届き,挑戦してみようと決心しました。
参加者は岩手,新潟,茨城,千葉,神奈川,長野,京都,宮崎,熊本から各1名,総勢9名の参加者で女性は3名でした。各県の代表選手みたいな雰囲気で,それぞれお国自慢に花が咲き,いい雰囲気の登山でした。
しかし,結果はあえなく敗退。標高5,000mに届かぬ地点で息が上がり放しとなり,ベースキャンプまで下山することになってしまいました。
体力の限界を思い知った登山でした。 |
サンチャゴから2時間ほど車に乗り,スキー基地バジャ・ナバドからエルプロ
モを目指しました。
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成田~ダラス~チリ サンチャゴ(ホテル泊) 2.18~2.19
成田発を18:30に出発して,アメリカテキサス州ダラスで乗り換えサンチャゴに向かいます。ほとんど眠れず,昼と夜の区別がないままただひたすら耐えて時間が過ぎるのを待ちました。
サンチャゴには12:40到着,真夏の日射しは強いですが,湿度が極端に少なくさわやかで冬用の長袖シャツとズボン下を身につけていても暑苦しさは感じません。早速,「ホテル日本」でハイネケンビールとムール貝の入った海鮮スパゲティで到着を祝いました。スパゲティはダシが良く出ていてさっぱりしていたせいか,かなりボリュームがあったのですが全員きれいに平らげてしまいました。
食後に現地のチーフ登山ガイド,50歳とおぼしき女性のビビアン氏による装備のチェックを受けました。私の重い登山靴や40年前のタニアイゼン,ウッドシャフトのピッケルにはびっくりされたようで,大きな声を出されましたが結果はOKでした。
サンチャゴは夜8時過ぎまで明るいということで5時過ぎから市内観光に出かけました。歴史ある大都市というだけあって,歴史的建造物やモニュメントそして適度に配置された公園と,西欧風の重厚な風格ある町でした。案内役はビビアン氏の事務所の若い男性スタッフで流ちょうな英語を話しますがほとんど理解できませんでした。最後にサンタルシアの丘に登り市内を見渡しました。対面するかのように巨大なマリア像がそびえるサンクリストバルの丘がありました。遙か彼方にはアンデス山脈の前衛の山が連なっていました。降雨量が年間360mmと非常に少なく,アンデス山脈に大気が遮られているためか空気の循環が悪く空は霞んでいます。
町の至る所に野良犬が歩き回っています。びっくりしましたが,おとなしくどんな人間にも危害は加えないようです。
夕食は野外レストランでムール貝やサーモン料理といったチリの特産品です。もちろんワイン付きでおいしくごちそうになりました。
夜になると一段と冷え込みます。Tシャツで出かけたら鳥肌が立ちました。日本の熱帯夜を懐かしく感じました。 |

ホテル日本です。オーナーは日本人ということですが日本語が通じるスタッフはいませんでした。 |

旧市街地を歩くとスペイン統治時代の歴史的な西欧建築物が目立ちます。 |

これは美術館でしょうか。「赤ずきんちゃん」の垂れ幕が掲げられていました。 |

政府機関でしょうか。スマートな警察官が子供にポーズを撮っています。親しみやすいですね。 |

サンチャゴ大聖堂です。巨大な教会で外装工事が行われていました。屋根の上にはマリア像が建っています。 |

大聖堂の内部です。高い天井,絵画,彫刻と厳粛で重々しい雰囲気です。尻込みすることなく市民の出入りはひっきりなしです。 |

奥まったところにマリア像があります。一心に祈っている人を見かけました。 |

かなり古めかしい建物です。証券取引所とか。外観,装飾共に歴史を感じさせられます。 |

近くには偉人とされた人の像が建っています。 |

近代的な建物と旨く調和しています。 |

サンタルシアの丘から市内を一望します。訪れる人が絶えません。空は霞んでいます。 |

丘の入口に犬の像がありました。野良犬が多いのと関係ありそうです。 |
サンチャゴ~ラ・パルバスキー場(標高2900m)(ロッジ泊) 2.20
いよいよ登山開始です。朝食もおいしく頂き体調はまずまずです。しかし天気の方は昨日とは打って変わって厚い雲が垂れ込め,真夏の暑さは感じられません。近代的なビルの建ち並ぶオフィス街を通り抜け,郊外のスーパーマーケットで食糧等を調達し,車は山肌に沿って延々とらせん状に高度を上げていきます。山には高木は見当たらず,サボテンが点在しチラホラと真っ赤な花が咲いています。日本の山を見慣れている目にとっては索漠として荒涼とした世界に写ります。雨量が年間360mmと極端に少ないせいでしょうか,どこまで行っても赤茶けたほこりっぽい山が続きます。それでも幾筋かの谷には雪融け水が流れ,これに沿って高木が育っていました。
2時間ほど走って標高2900mのスキー場に到着しました。サンチャゴ市内の標高が500mほどですから2500mほどを2時間で登ってしまったことになります。少し頭痛がするような不快な気分になりました。
「さあ出発」という時になって大きな雷鳴がとどろき,あられ混じりの雨が降ってきました。チーフガイドは慎重でした。直ちに登山は中止,少し下ったところにあるファラヨネスのスキー客用のロッジに泊まることになりました。おかげで手の込んだジャガイモとサーモンの料理を頂いたり,快適なベッドでゆっくりと眠気を取り去ることが出来ました。
時ならぬ天候の崩れでスキー場の山々はうっすらと雪化粧しました。夕方には雪も収まり,夕焼けが山肌を染めて明日の天気の回復を約束してくれました。 |

宿泊したロッジからスキー場の山々を見渡せます。リフトの起点には巨大な
ホテル群が林立しています。別荘も多いようです。 |
ラ・パルバスキー場~ピエドラ・ヌメラーダ(標高3354m)(テント泊) 2.21
今日は快晴です。10時半にスキー場を出発し,殺風景な場内の急斜面をひたすら登り2時間ほどで見晴らしの良い稜線に出ました。歩くと暑く休むと急激に寒さが襲ってくるので衣服の調整が頻繁です。しばらく稜線を歩くと雪をたっぷりかぶった目標の山,エルプロモ峰が見えてきました。3000m地点から見上げるとさほど高度感もなく,登れそうな気がしました。しかしまだまだ遠くです。油断は禁物です。
チーフガイドが突然上空を指して大声を出しました。コンドルです。2羽ゆっくりと弧を描いて,これからの登山を激励してくれているかのようでした。ちなみに,コンドルは生きた獲物を狩るのではなく、主に大型動物の死体をとって食物としているそうです。あの勇姿からは意外な感じがしますが,鷹や鳶のように攻撃的ではなくコウノトリに近い種のようです。
更にひと登りして16時頃,第1のキャンプ地ピエドラ・ヌメラーダに到着しました。早速馬とロバの混血種「ムーラ」に運んできてもらったテントの設営に取りかかりました。
標高は3354m,少し頭痛がします。血中酸素濃度SPO2は82%まで下がってしました。元気な女性陣は90%台とここでもう差がついてしまいました。 |

スキー場のリフトに沿って急斜面を登ります。ダウンヒルを愉しむ人がリフトに乗っています。 |
稜線近くになるとアンデスの山並みが姿を現してきました。 |
 稜線を下った所にある池の畔で昼食にしました。野良犬がついてきてえさをねだっています。 |
荒涼としたがれきの中にぽつりぽつりと
苔のような植物が点在しています。 |
コンドルが空を舞っています。まるでグラ
イダーのような,その大きさに圧倒されました。 |

第1キャンプ地のピエドラ・ヌメラーダが見えてきました。奥にはエルプロモ峰がそびえています。 |

ピエドラ・ヌメラーダのキャンプ地です。キッチンテントと食堂テントの奥にはエルプロモ峰が霞んでいます。 |
エルプロモ峰をアップで狙いました。
なだらかな女性的な山容ですが苦しい急登が待っていました。 |
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「西遊旅行」の添乗員から送られてきた集合写真です。
この辺当たりまでは楽勝だったのですが…。 |
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ピエドラ・ヌメラーダ~フェデラシオン(標高4100m)(テント泊) 2.22
登山2日目です。頭痛は回復したもののSPO2は84%とあまり回復していません。
9時にフェデラシオンに向けて出発しました。相変わらず荒涼としたがれきの世界です。高山植物もほとんど見当たりません。雪融け水が滝となって流れる沢筋に慰められて黙々と歩き続けます。エルプレモ峰の氷河が間近に迫ってくる15時頃,標高4100mのフェデラシオンに到着しました。早速テント設営に入り,18時から早めの夕食を済ませて明朝のアタックに備えてテントに入りました。
意識的に多めの水分を取っているせいか,2時間おきに起き出し青空トイレに向かいました。かなりの寒さです。天を仰ぐと天の川の星がこんなにも多いのかと驚かされます。天の川の中に,南十字星,偽十字星と思われる星も輝いています。
テントに戻り少し寝入ったような気もしましたが,眠ったという実感はありません。目を閉じたまま,ただ時間が過ぎるのを待ちました。 |
荒涼としたがれきの中をひたすら歩き
ます。
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 氷河から流れ出す滝に慰められます。
5段の段差がありました。 |
 エルプレモ峰が近づいてきました。
大きな氷河が迫ってきます。 |

テントや食糧は馬とロバの混血種である
「ムーラ」が運びます。強靱な脚力です。 |
フェデラシオン~エルプロモ峰途中(標高4800m)~フェデラシオン(テント泊) 2.23
2時半に起床し,4時に山頂目指して出発しました。SPO2は78%と昨日より幾分上がったものの相変わらず低めです。少し歩くと息切れが激しいです。
昨晩は2度震えが来ました。寝袋から頭を出していたため体温調整が旨く出来なかったようです。2度目には毛糸の帽子をかぶって寝袋にすっぽり入ったらどうにか震えは収まりました。高山病予防のためにも頭は暖めるべきでした。
歩き始めから体が重く感じました。前の女性陣について行くのが精一杯で全く余裕がありません。4時間ほど歩いたところでついて行けず最後尾にまわりました。吐く呼吸を意識して行いましたが息苦しさは回復しません。キリマンジャロの時には冷気を吸い込んで胸が痛くなったので,今回はネックウォーマーを付けてみました。しかし鼻までかぶると十分な空気が入ってきません。口だけ覆ってみると今度は鼻水が止まりません。胸の痛みはないものの息苦しさは解消されませんでした。
雪混じりの急坂に入ると両手にストックとピッケルを持ち,体を持ち上げる動作をしなければなりません。5,6歩歩いては体全身であえぐことになります。こんな苦しさはかつて経験したことがありません。5時間ほど登ったところで下山の体力を考慮して登頂を断念することにしました。
サブガイドの若い女性マルセラに連れられて第2キャンプ地のフェデラシオンに下りました。途中,出現した「ペニテンテス(氷河の上の雪と氷が作り出す尖塔)」がどのようにして出来るのかやチーフリーダーのビビアンが2年前のチリ・エベレスト遠征女性隊の隊長であり,一人で資金やスポンサー集めに奔走した話を聞きました。女性4人のうちビビアンを含めて3人が登頂したとか,「スーパーレディですね」というと「ほんとうにその通りです」という返事でした。
12時頃フェデラシオンに到着,食べ物は受け付けないのでお茶を飲んでテントに横になりました。疲労感でいっぱいでしたが,テントの中の暑さもあってか,ただじっとしているだけでした。
20時になり,あたりが少し薄暗くなってきた頃仲間達が下山してきました。落ち武者のように一歩一歩足を運ぶのがやっとのようです。往復16時間を要したことになります。
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4600mの避難小屋付近に来るとアンデス
の山並みが見渡せるようになりました。
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サブガイドのマルセラと若いガイドの
ニコラスが何か語らっています。姿が
様になっています。 |

これが見納めかとアンデスの山を撮り
ました。 |
独特の岩肌と白い雪が印象的です |
 氷河の下流に尖塔,ペニテンテスが出現しています。 |
 尖塔「ペニテンテス」です。
冬季は遙かに巨大だそうです。 |
 遙か下方にキャンプ地が見えました。 |
 エルプロモ峰です。山頂は黒い岩の奥の
方です。氷河の下方にはモレーンが出来
ています。 |
 エルプロモ峰からの氷河です。 |

第2キャンプ地のフェデラシオンから
エルプロモ峰を望みます。 |
 薄暗くなって下山する仲間達の姿が見えてきました。 |
 添乗員のKさんを先頭に皆さん疲れ切っ
たようです。 |
フェデラシオン~ピエドラ・ヌメラーダ~エル・コロラドスキー場~サンチャゴ(ホテル泊) 2.24
朝のSPO2は78%と昨日と変わりありませんでした。体が幾分軽くなったような気がしたので,もう少し順応しているかなと思ったのですがいまいちです。やはり高山病予防薬を服用すべきでした。
下山は順調でした。途中のアップダウンも遅れることなく快適でした。途中,雷鳥のような鳥6羽と子鹿に出会いました。荒涼としたがれきの中で意外な生きものが生息しています。
15時半に出発地点とは違うパジャ・ネバドというスキー場に下山しました。上空にはまたもコンドルが2羽弧を描いていました。全員無事に戻ってこられたことを祝ってくれているかのようでした。
18時にホテル日本へ到着,この上ないご馳走のシャワーを浴びて生き返り,レストラン街へと繰り出しました。案内役の女性の音頭により,ワインとビールでサルー(スペイン語で乾杯という意味だそうです。)しました。私は登頂できませんでしたが,体力の限界を感じ取って,なぜかさわやかにワインを流し込みました。 |
 この地点でエルプロモ峰ともお別れです。
見納めの一枚を撮りました。 |

がれきの中の2株の草花。その向こうにテント回収のラバの姿がありました。 |
 索漠とした砂礫の谷筋に沢が流れていました。
殺風景な中に一服の清涼剤ともいえる白い花が咲いていました。 |
緑は沢筋に沿ってほんの少し,辛うじて生きています。 |
サンチャゴ~ダラス~成田 2.25~27
いよいよチリともお別れです。サンチャゴ郊外のワイナリ「コンチャ イ トロ」で昼食です。サーモンサラダ,トマトスパゲティ,アイスクリーム,エスプレッソコーヒーと満ち足りた食事でした。ワインも赤白飲み比べで満足この上ない気分に浸りました。食事後にワイナリの見学をしました。1400haのブドウ畑に圧倒されては,たわわに実った小粒の赤白ブドウを試食しました。甘みがことのほか強く感じられました。降雨量が少ないせいか乾燥しすぎているようにも思われましたが,ブドウの生育には適しているのでしょう,ブドウ畑は年々広がっているようです。
土産コーナーでお昼に頂いた赤白ワインを購入し,大型スーパーマーケット「ジャンボ」でハーブティやチョコレート,ムール貝の缶詰なども土産にしました。
夕方,空港へと向かいました。チーフガイドのビビアンと料理長のカルロスが私たちのスーツケースを運搬かたがた見送りに来てくれました。日本人ツアー客を大切に扱って頂き感激です。一人一人,ねぎらいの握手をしてくれました。エベレストに登ったというビビアンの手は女性らしいほっそりした柔らかい手で,スーパーレディにしてはごく普通の感じでした。思わず両手で「アイアムソーリー」と足手まといになったお詫びと御礼の気持ちを返しました。
空港内で,最後のお土産としてチリ特産の青い石「ラピスラズリ」のネックレスを購入していよいよ帰国です。
サンチャゴを23:20に出発し,成田には14:10着,家に着いたのは17:30と長い移動の時間が終わりました。
思いは遂げられませんでしたが,アンデスの山の雰囲気に十二分に浸れた貴重な10日間の体験でした。
高度順応の為に水をたくさん飲み,2時間おきにトイレにテントから起き出すというあの苦行を思うと,高所登山はもう限界かなと痛感したアンデス山行でした。残念ながら新たな山登りへ転換すべく,気持ちを切り替えるべき段階に来たようです。 |

サブガイドのマルセラがワイナリを案内し
てくれました。
山女がイメージチェンジです。 |
 ワイナリ内のいい雰囲気のレストランです。 |
 天井もドーム型で開放感に溢れています。 |
 ひときわ目を引く巨大な油絵がありました。 |
 どこまでも続くブドウ畑。乾燥していて埃ぽいです。 |

ブドウが実っていました。好きなだけ食べられました。 |
 試飲コーナーです。さすがに欧米人は様になっています。 |

ワインの貯蔵たるです。ウィスキーと同じように熟成が大事なようです。 |

ワインの解説者です。グラスを持ち帰るように進められましたが割れるといけないので止めました。 |
 こんな変わり種の樽もありました。 |
 野外で食事を楽しむ人も多いです。ブドウの蔓が日陰を作っています。 |
 レストランからワイナリへと続いています。 |
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